海事科学研究科附属練習船「深江丸」は、学部学生の実習を始め、授業、実験、セミナー、調査・研究、さらには研究会や海事の啓発活動、海事関連企業や団体の研修、近隣の他大学学生への教育提供など、様々な目的や場面でこれまで活躍してきました。そんな深江丸ですが、今年いっぱいで就航以来34年の長い歴史に幕を下ろします。そこで、深江丸のこれまでの功績を称えるために9月24日には「ありがとう深江丸」イベントが開催されます。イベントに先駆けて深江丸の魅力や思い出をゆかりのある方々に伺いました。
★船長インタビュー①
――どんな経緯で船長に?
私は1979年の9月に当時4年半制の神戸商船大学商船学部を卒業後、同年10月に当時の運輸省航海訓練所に航海士兼教官として奉職しました。その後、1984年の4月から2年間、神戸商船大学航海計器学研究室の助手として現深江キャンパスに出向していましたが、この頃に新しい深江丸(現在の深江丸)の建造構想があり、船橋の機器配置などの設計に少しタッチしていました。その後、航海訓練所へ戻り、海王丸、大成丸、北斗丸、青雲丸、銀河丸などの大型練習船で二等航海士を経て次席一等航海士として海上勤務を続け、南北太平洋から大西洋・ヨーロッパに至る大海原を舞台に海技士の養成に取り組んでいました。1994年から3年間、高松にある四国運輸局の船員部で海技試験官として船員の国家試験業務に従事していましたが、航海訓練所に戻る直前に深江丸船長としての要請があり、転職して現在に至ります。1997年4月当時、深江丸は国有財産で、文部大臣の“深江丸船長を命ず”の辞令交付からまもなく25年、四半世紀をこの深江丸と歩み、船長として乗組員とともに苦楽を共にしてきました。崇高な“人命”と、船という高価な財産を預かってこれまで様々な場面に臨み、運良く無難にくぐり抜けてきました。都度、そこに新たな発見と交流がありました。台風や大時化に遭遇したときなどの辛い体験は山ほどありますが、嫌になったことはありません。しかし反省は毎度のことです。深江丸船長を拝命し、多くの皆様に支えられながら今日に至ることができましたことを心から感謝しています。これまで安全を第一義に大過なく運航できたことにこの上ない喜びを実感し、それを実現させてくれた深江丸を誇りに思っています。
――深江丸ではどのようなことを?
第一は学生の実習と実験です。深江丸はそのための練習船なのです。本学の海事科学研究科は国が定める三級海技士の養成施設ということで、一級から六級まである海技資格の中で、学生レベルでは最上位の三級海技士(航海)または同(機関)のライセンスを取得できます。そして深江丸は海技士養成のための教育設備と教材であると同時に、大学が所有する練習船ですので、その能力や設備を活かした調査・研究活動の他、様々なかたちでの社会貢献や社会との連携活動ももう一つの大きな柱になっています。
――これまで深江丸でどんな航海を?
通常は、乗船系の学部学生を対象に大阪湾と瀬戸内海で学内船舶実習を2日から4日間の日程で展開しています。内容は低学年の初期導入から高学年のセミプロ実習へとグレードアップしてゆきます。
実習以外でこれまでに印象深かった航海としましては、着任直後の1997年9月に実施した韓国海洋大学校(釜山)への学術交流航海があります。深江丸は本来、外国往来の航行資格を持たない内航船なので、各種の申請と手続き、免税措置や参加者の選抜等、大きな期待の陰でいろいろと苦慮しました。しかしながら総じて楽しい訪問でした。神戸を出て6日目の韓国航海終了時に関門港の門司において国内往来船に航行資格を戻し、学術交流チームの下船後は引き続き研究航海に移りました。
次に、1999年7月、当時の神戸商船大学と国立淡路青年の家並びに国立沖縄青年の家の3者が共催した公開講座「アドベンチャー・クルージング:神戸-沖縄9泊10日の旅」があります。沖縄県の渡嘉敷島までの往路3泊、渡嘉敷島に1泊の後、那覇で水の補給と現地OBとの交流で1泊、さらに渡嘉敷島へ移動して1泊した後、那覇への半日の寄港を経て復路に3泊を要しました。復路、鹿児島県のトカラ列島に沿って北上中、たしか諏訪之瀬島の東方海域だったと思いますが、12ノット(時速約22km)の全速力で航走する船の周辺に数種類の数え切れないイルカの大群が伴走して戯れ、舳先の水面では豪快にジャンプするなど、小一時間、受講者とともに歓喜したことを覚えています。
2004年から災害時医療連絡協議会により、大規模災害発生時に海上ルートを活用した船舶利用の検討が始まりました。この災害時医療支援船構想は日本透析医会と連携して、船を緊急医療施設、仮設病院として活用するための検証です。2005年から2008年にかけて神戸をベースに大阪湾一円を活動の舞台として、大阪、和歌山及び徳島において、現地の医師会、消防、警察等と連携した検証が深江丸を用いて行われました。2011年3月11日の14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震では、大阪湾への津波の到来に備えて、安全のため、夕刻に深江キャンパスの専用岸壁を離れ大阪湾北部海域に退避し錨泊しました。事後、日本透析医会と兵庫県透析医会からの要請で東北地方からの人工透析患者とそのご家族を一次収容できる態勢を深江丸に整え、同時に文部科学省からの東北地方への出動待機要請に基づき出動準備を整えつつ、5月の連休明けまで本務と並行して待機状態が続きました。翌年の2012年3月には仙台塩釜港塩竃区を往復する研究航海を実施し、福島県沖の放射線量を含む海洋大気と海流や漂流物観測などを行いました。災害現地へは神戸大学から約2000冊の本を搬送し、災害支援ボランティア派遣の他、現地の子供たちを対象に午前と午後に分けて体験航海を実施し、乗船者全員に昼食のカレーを試食いただき、このとき災害支援として船の給食能力を検証しました。さらに、災害現地の実情に沿って、船からどのようなかたちで、どれくらいの船内発生電力を供給できるかなども検討しています。2016年3月に実施した2回目の東北航海では、深江丸では初めての試みですが、房総半島の南方20kmと57kmの水深1900mと2100mの海底に設置していた海底電位磁力計を回収しています。
深江丸のこれまでの活動につきましては、①練習船深江丸の30年の航跡、大学院海事科学研究科紀要第15号(2018年7月)と②練習船深江丸の調査研究活動 -就航後34年間の実績-、大学院海事科学研究科紀要第18号(2021年8月)で詳細に報告しています。
船長インタビュー②では、深江丸の研究や新船への思いをお聞きします!ぜひご覧ください!
関連リンク
- 海洋政策科学部
記事を担当した学生
- 国際人間科学部 3年 中川 萌香