みなさんは、神戸大学として初めて名誉博士号を授与された、「山口誓子」という人物をご存知でしょうか?
山口誓子は、「学問のさびしさに堪え炭をつぐ」、「海に出て木枯らし帰るところなし」、「虹の環を以て地上のものかこむ」などが代表句の俳人です。今回は山口誓子記念館や彼の人物像について、誓子・波津女俳句俳諧文庫の米田さんと山口誓子記念館の田中さんのお二人にお話をうかがうとともに、10月10日(火)〜10月20日(金)に神戸大学百年記念館展示ホールにて開催された「山口誓子特別展 誓子と海―神戸開港150年によせて―」を取材してきました。
山口誓子記念館にて
――—山口誓子記念館の概要を教えてください。
山口誓子記念館は、神戸大学百年記念館の東側にある数寄屋造りの建物です。なかなかこの場所をご存知ない学生さんも多くいらっしゃるようですが・・・。山口誓子の邸宅はもともと西宮市苦楽園にあり、誓子の没後、神戸大学に寄贈されました。阪神淡路大震災によりその邸宅は全壊してしまったものの、柱や窓ガラスなどの一部は、神戸大学の地で旧宅の母屋をほぼ忠実に復元したこの記念館で再利用されています。誓子は東京帝国大学法学部出身の秀才ですから、柱に触れると、もしかしたらご利益があるかもしれませんね(笑)。
――山口誓子は、いったいどのような人物だったのでしょうか。
山口誓子は俳人であり、昭和初期に「ホトトギス」雑詠欄の気鋭として活躍、また俳誌「天狼」を創刊し、戦後の新しい俳句の確立に貢献しました。「天狼」とは、大犬座で最も明るい1等星であるシリウスの別名です。誓子は好奇心旺盛な人物で、星など、様々なものを題材とした俳句を詠んでいます。今年7月には随想句集『星戀』も中央公論新社から出版されていますよ。
このように近代的な俳句理論の追求や俳句の実作、それから450冊あまりの句帖を含む蔵書約2万冊などを神戸大学に寄贈したことから、昭和63年6月16日、誓子は神戸大学で初となる「神戸大学名誉博士号」を授与されました。神戸大学が寄附を受けたこれらの資料は、百年記念館1階の誓子・波津女俳句俳諧文庫で保存管理されています。
――山口誓子記念館は、どのような目的で利用されていますか。
句会や茶会などの場として利用されるほか、留学生や外国からの客人が日本文化を体験できる場としての性格も持っています。茶の湯の施設等はもとの邸宅にはありませんでしたが、そうした目的に沿って付加されました。また山口誓子記念館は、数寄屋造りの純和風の建物のため、建築の先生がいらっしゃることもあります。もちろん学生や教職員だけでなく、一般の方々の利用も可能です。
神戸大学百年記念館展示ホールにて
本日は山口誓子記念館だけでなく、特別展の取材もさせていただきます。年に1回、山口誓子学術振興基金実行委員会と神戸大学文書史料室が共同利用する展示ホールで特別展を開催しています。今年のテーマは、「山口誓子特別展 誓子と海―神戸開港150年によせて―」です。
――—初めて山口誓子が書いた俳句を拝見しましたが、特徴的な文字をしていますね。
確かにそうですね。誓子の妻である波津女も俳人であり、正式に書道を習っていた波津女は、流麗な文字を書いているのに対し、誓子の文字はやや丸みを帯びた可愛らしいものとなっています。
――—山口誓子は海に関する俳句をたくさん詠んでいるのですね。
誓子は船旅が好きだったようです。幼い頃を過ごした樺太から北海道へと渡る際に船から見た情景、妻である波津女との船旅、静養時にも船を使っての移動を好み、それらの経験も句材となりました。例えば、海に関する俳句でも、「夜の夏天船より見れば銀河ながれ」といった俳句のほかに、「北風(きた)強く水夫(かこ)のバケツの水を奪る」、進水式の句で「いまぞ船體(せんたい)春潮の平ら得て」など独特な切り口から詠んでいるものもあります。新しい俳句を詠もうとした誓子は、水夫や造船所をも句材としました。これは、昭和の初めにはなかったことです。誓子の観察眼には本当に感服しますね。さらに、日本各地に誓子の句碑は200以上ありますが、「一湾の潮しづもるきりぎりす」など、海を詠んだ句の碑も建てられています。
――—ありがとうございました。
◯取材を担当した学生のコメント
【記事担当】経営学部2年 三島 春香
取材では山口誓子の俳句の世界観に浸ると同時に、彼の魅力的な人柄をうかがい知ることができました。神戸大学を訪れた際には、ぜひ山口誓子記念館にも立ち寄っていただきたいと思います。
【撮影担当】経営学部2年 下村 明日香
大学内にこのような施設があることを今回の取材で初めて知りました。山口誓子と神戸大学の関係性や、記念館について知らない学生は多いと思うので、もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思いました。