【神大うりぼー誕生記念企画・うりぼーのここが知りたい!Vol.5】うりボーロード~名付け親の視点編・後編
前編↑のお話を伺ったあと、うりボーロードの名付け親・森本祐加さん(工学部2011年卒)と一緒にロード周辺を散策することに。あちこちを歩きながら、さらにお話を伺っていきます!
うりボーロードにて
――—うりボーロードのおかげで、いろんな場所との距離がぐっと近づいたんですよね?
健康診断の時、工学部から保健管理センターまで行くのに便利でした。あと、ここから自然科学総合研究棟3号館に入っていましたね。3号館の最上階からの眺めが、私のオススメです。
――—この辺りって、以前と何か変わりましたか?
そうですね、先端膜工学センターって今は立派な建物が建っていますが、私が在学していた当時は、工学部の建物の一室に看板があるだけでしたよ。
――—今先端膜工学センターが建っている場所には何が?
空き地でした。実験棟の少しすたれた感じ、茂みも変わってない(笑)。ここで夜にイノシシを見たこともあるんですよ!あれは大きいイノシシだったので、本当に怖かった~(笑)!
鶴甲第1キャンパス側にて
――—この、六甲台第2キャンパスと鶴甲第1キャンパスをつなぐ橋を当時はなんと呼んでいましたか?
陸橋ですか?
――—あ、今と変わらないですね!私たちも国文陸橋とかって呼んでいます。
陸橋を渡ってすぐ見えるA棟正面に、階段とウッドデッキがあるじゃないですか。あれ、私が入学した当初まだなくて工事中だったんですよ!
――—そうなんですか!じゃあ、A棟の中に入るのって、大変だったんじゃないですか?
A棟は一番下(地下1階)が食堂になっているので、食堂と生協の間の通路を通り、B棟の方へつながる階段を上ってA棟の1階へ行っていました。外国語の先生のお部屋がA棟の中にあったのですが、当時耐震工事をしていて立ち入り禁止の場所もあって、行きにくかったんですよ!生協の購買部も変わってないですね。神戸大学グッズのお菓子類は、お土産によく買っていました。
――—この神大緑茶って知っていますか?
パッケージがリニューアルされていますね。前は赤かったような気がします。
――—ここまで来たことですし、アポなしなのですが、お話を聞いた当時の工学部事務職員さんがいらっしゃる学務課まで一緒に会いに行ってみましょう!(取材の約束をしていないにもかかわらず、快く対応してくださった学務課事務のみなさん、ありがとうございました。松田さんにお会いすることができました。)
森本さん:うりボーロードと名付けました森本です。お久しぶりです。当時はお世話になりました。
松田さん:お久しぶりです、現在もこちらに?
森本さん:いえ、今は横浜にいます。お変わりなくて、懐かしいです。松田さんには関数電卓をなくした時に、よく対応をしていただきました。ありがとうございました。
――—松田さん、お忙しいところありがとうございました。
森本さん:ありがとうございました。
終わりに
――—うりぼうって、森本さんにとってどういう存在ですか?
大学に入学して突然うりぼう出会えたのが、私の大学生活を祝ってくれているかのようで、守り神的な、妖精さんみたいな感じの存在ですかね!なかなか出会えないし、大学生活が楽しくなったきっかけです。
――—なるほど!それでは最後に、名付け親の森本さんから、神戸大学のみなさんにメッセージをお願いします。
今たくさんグッズも出ていますし、うりボーロードもうりぼーネットも、みなさんたくさん使ってくれたらいいなと思います。それを通して、神戸大学、神戸の街をもっともっと好きになっていただけたら嬉しいです。
――—うりぼーを通して、神戸大学の過去と今を一緒に覗くことでき、すごく楽しかったです。ありがとうございました。
◯取材を担当した学生
- 文章:発達科学部4年 船越 茉莉
- 写真:経済学部4年 杉岡 祐依
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